630麻雀歴の最近のブログ記事
麻雀との初めての出会いは、たしか小学生のころです。
小学生の頃、父がファミコンを買ってくれました。
私は「マリオ」と「ベースボール」を買ってもらいました。
父は自分用に「麻雀」を買っていました。
友達が持ってきた四角で硬くてきれいな模様がついたかたまり。
それを使って遊ぼうというのです
しばらく麻雀というものは忘れていました。
父くらいの大人が楽しむもので、
子供が手を出していいシロモノではない、と感じました。
本で麻雀を覚えて、うろ覚えで遊びました。
だんだん普通に打てるようになりました。
そのうちいろんな友達と麻雀するようになりました。
やり始めの一番楽しい時期です。
とにかく牌をさわっているだけで楽しかったです。
当時フリーターだったので、どうせならお金をかせいで、
さらに麻雀の勉強もできる雀荘メンバーになろうと思いました。
さっそく岐阜の「さかえ」でバイトしました。
しかし現実はそんな甘いものではなく、すごく負けました。
すぐに給料がなくなり、ずっと立ち番でした。
名古屋に活動の拠点を移しました。
名古屋伏見の「名古屋クラブ」で働き始めました。
そこではいろいろな出会いがありました。
そのなかでも、麻雀プロとの出会いは衝撃的でした。
はじめて麻雀にはプロの世界があるんだ、と思いました。
いつしか、将来は麻雀プロになれたらいいなぁと漠然と思い始めていました。
プロ試験に向け、名古屋の雀荘を辞めてからも、
ほぼ毎日勉強は続けていました。
当時「デジタル」といわれる打法を身につけ、
符計算を完璧にし、ネットで試験の過去問を解きました。
プロ試験の準備は万全です。
満を持してプロ試験を受けました。
しばらくは、名古屋で働きながら東京に対局に行くという
生活を続けていました。
しかし、やはりプロとしてやっていく以上、
東京で住みながら活動したいという欲求がでてきました。
名古屋でお世話になっている先輩プロに頼んで、
東京の雀荘を紹介してもらいました。
池袋の「スリーファイブ」という東風戦の雀荘で働き始めました。
苦悩の日々の末、プロ活動を一度やめて、
地元の岐阜に戻ることにしました。
一ヶ月間いっさい麻雀をしないで、考えていました。
日々悩みながらメンバーを続けていました。
麻雀にどう関わっていくべきか?
麻雀を趣味としてやっていくのか?
麻雀を仕事としていくのか?
単純に好きなだけなのか?
それとも強くなりたいのか?
結論が出せないまま、結局メンバーは辞めてしまいました。
このまま惰性でメンバーを続けていても、答えは出ないと思ったからです。
それからは自分の内面を見つめる作業を繰り返しました。
ブログを書いてみたり、このサイトを作ってみたりして、
自分の麻雀との関わり方を考えたりしていました。
さんざん悩んだ結果、1つの答えを出しました。
それは麻雀に関わって生きていくことです。
人生において麻雀を中心に考え、麻雀が趣味ではなく、
麻雀で生活していくということです。
麻雀に関わり生きていくことはとても大変なことです。
そのためには、私自身相当な覚悟、決心が必要でした。
思えば麻雀を始めたころから、少しも変わらなかった想い。
麻雀がただただ好き。とにかく強くなりたい。この単純で純粋な想い。
他のどんなことよりも、この想いを大事にしよう。
この想いが迷っていた私を後押ししたのです。
そして麻雀に一生をかけて取り組むからには、中途半端で終わりたくない。
やるならとことんやってやろうと思います。
これからは苦難の道が続くでしょう。
でもそれは覚悟の上です。
誰よりも麻雀を愛し、努力を惜しまず、貪欲に強くなりたい!
楽しく厳しい麻雀道を、少しづつ歩んでいきます。
